淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家 - 淀川長治さんを語る〜国弘よう子

淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家
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淀川長治さんを語る〜国弘よう子

最初の出会いはラジオ

淀川さんとの最初の出会いは、今からおよそ、38、9年前私が学生の頃。ラジオ関東で北原ジュンさんがなさっていた映画番組の相手役のオーディションを、ラジオ製作をしていた桑の実プロに受けに行き運良く受かった。

ついでにHBCとCBCの深夜放送も担当することになり、その収録の前が淀川さんの番組。私が映画好きというのをデイレクターから聞いた淀川さんが、「だったら、笑う係をやってね」と。もうすでにテレビでは知られた淀川さんだったが、「ラジオはぼくは新米だから」とおっしゃった。二つ返事でひきうけたのは当たり前。一畳半ぐらいのスタジオで机の反対側に座り、淀川さんの話を、声を出さずに面白いならニッコリ、わからないならクビをかしげるといった、映画ファンにとっては、まさに生きた勉強。面白くて、笑い声を殺すのはけっこう至難の技。当時の淀川さんは、ヘビースモーカーで、お茶は飲まず、コーラ党だった。

2年ぐらい続いたが、そんなこともあって、「ぼくは、人におごったりしないの。でも、特別ね」といつも、ご馳走になった。蟹玉に焼き飯が定番。その当時、淀川さんが私につけてくれたあだ名は「フランス人形」。それが、後には「シネマ芸者」になってしまうのは、トシのせい...?!
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