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淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家 - 年表

淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家
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年表

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・1909(明治42年)0歳
4月9日 母が活動写真を見ている最中に産気づく。映画は『馬鹿大将』(「ドン・キホーテ」)らしい。4月10日 午前10時15分 父・又七(56歳)、母・りゅう(24歳)の長男として神戸で誕生
 
・1910(明治43年)1歳
毎週両親に連れられて映画を見る
 
・1915(大正4年)6歳
幼稚園の小沢先生に初恋
 
・1916(大正5年)7歳
4月 兵庫尋常高等小学校に入学
12月 初めてひとりで映画を見る。『デブとつなみ』(ロスコー・アーバックル主演)
 
・1922(大正11年)13歳
<4月 神戸第三中学校入学
学校の毎月の総見映画の選定をする
 
・1925(大正14年)16歳
慶応の予科受験のため上京するが、高熱のため試験に行けず
 
・1927(昭和2年)18歳
<「映画世界」編集部(映画世界社)にアルバイトのような形で入る
 
・1929(昭和4年)20歳
神戸に連れ戻される
姉の経営する外国輸入美術品店「ラール・エヴァンタイュ」に勤める
 
・1932(昭和7年)23歳
5月 「映画之友」5月号に「『人類の戦士』(アロウスミス)撮影記」が(原稿料を貰う)評論家として始めて掲載される。ユナイテッド・アーティスツ大阪支社宣伝部入社
 
・1934(昭和9年)25歳
6月13日 双葉十三郎氏と『濡れた拳銃(コルト)』の試写で出会う
 
・1936(昭和11年)27歳
3月6日 神戸港のクーリッジ号船上でチャップリンと会う。チャップリンは『モダン・タイムス』完成後、ポーレット・ゴダードを同伴してやってきた。年末デパートの洋画各社の新春映画展示場の準備で東和宣伝部の野口久光氏と会う
 
・1938(昭和13年)29歳
4月 ユナイト東京支社勤務となり、両親と上京
 
・1940(昭和15年)31歳
『駅馬車』の宣伝を担当する。大ヒットのごほうびに、プロデューサーのウォルター・ウェンジャーから銀の懐中時計を贈られる
 
・1941(昭和16年)32歳
12月 開戦のためアメリカ映画日本支社が閉鎖 
 
・1942(昭和17年)33歳
東宝に入社
黒澤明監督と懇意になり『姿三四郎』宣伝文案も書く
 
・1943(昭和18年)34歳
父親(91歳)が永眠
 
・1945(昭和20年)36歳
CMPE(セントラル・モーション・ピクチャー・イクスチェンジ)入社
 
・1946(昭和21年)37歳
雑誌「スクリーン」が創刊されることになり、双葉十三郎氏とともに編集委員をつとめる
 
・1947(昭和22年)38歳
CMPE退社。「映画之友」編集部(映画世界社)入社
 
・1948(昭和23年)39歳
10月 大黒東洋士氏にかわって「映画之友」編集長になる。10月30日 第1回「友の会」を上野新制高校の教室で開く(以後毎月1回、93年4月17日まで行われる)
 
・1950(昭和25年)41歳
5月1日 初の著書「映画散策」(冬書房)出版
 
・1951(昭和26年)42歳
2月14日 ジョン・フォード監督と帝国ホテルで会う
10月18日 生まれて初めてハリウッドに行く
『ライムライト』撮影中のスタジオにチャップリンを訪ねる。約2か月滞在
 
・1952(昭和27年)43歳
2月28日 フランク・キャプラ監督と会う
 
・1953(昭和28年)44歳
3月17日 再びハリウッドに行く。アカデミー賞に『羅生門』がセット部門でノミネートされ、授賞式に出席のため。約4カ月滞在する
 
・1956(昭和31年)47歳
4月22日〜5月3日 ダニエル・マン監督「八月十五夜の茶屋」(主演マーロン・ブランド、グレン・フォード)に米の配給人の役で出演
 
・1960(昭和35年)51歳
6月 NET(現テレビ朝日)でテレビ・シリーズ「ララミー牧場」の解説を始める。1963年6月まで
 
・1962(昭和37年)53歳
11月19日 ハロルド・ロイドと帝国ホテルで会う
 
・1966(昭和41年)57歳
10月1日 テレビ「土曜洋画劇場」(のちの「日曜洋画劇場」)の解説を始める。第1回放送作品は『裸足の伯爵夫人』
 
・1967(昭和42年)58歳
「映画之友」編集長をやめ、フリーとなる
 
・1969(昭和44年)60歳
4月7日 松本俊夫監督『薔薇の葬列』に1カット出演する
 
・1971(昭和46年)62歳
4月2日 東京12チャンネル(現テレビ東京)「人に歴史あり」に出演
6月12日〜18日 ニューヨークへ行く。JALの機中で映す映画の選定のため(以後毎年渡米。1986年まで)
12月1日 映画の日特別功労賞受賞
 
・1972(昭和47年)63歳
3月7日 始めてCMにナレーションで声の出演
 
・1973(昭和48年)64歳
10月 TBSラジオ「淀川長治ラジオ名画劇場」の放送を開始
 
・1975(昭和50年)66歳
4月17日 横浜放送映画専門学院の開校式に講師として出席
8月9日 次姉ガンのため死亡
 
・1976(昭和51年)67歳
1月20日 長姉ガンのため死亡
2月27日 テレビ大賞個人特別賞を受賞
12月16日 東京12チャンネル(現テレビ東京)「われらの主役」に出演
 
・1979(昭和54年)70歳
2月25日 初めて書いたシナリオ「ねェ、旦那を貸してよ」がTBSラジオで放送される(主演/岸田今日子、平井道子他)
 
・1980(昭和55年)71歳
山路ふみ子映画賞受賞
 
・1984(昭和59年)75歳
4月28日 勲4等瑞宝章の受章者に選ばれる
 
・1986(昭和61年)77歳
日本映画ペンクラブ賞を受賞(「日曜洋画劇場」20周年を記念して)
3月24日 第4回川喜多賞受賞
 
・1987(昭和62年)78歳
7月25日 劇場名を命名した盛岡ルミエール開場
10月31日 尾道映画祭に参加
12月25日〜88年3月7日 順天堂大学病院に入院
 
・1989(平成元年)80歳
1月1日 朝日賞受賞
 
・1991(平成3年)82歳
4月27日 淀川長治映画塾をアテネ・フランセで開講(以後毎月1回開講)
9月11日〜18日 始めてのロンドン旅行
 
・1992(平成4年)83歳
4月2日 雑誌「ROADSHOW」創刊20周年記念として淀川長治賞設立。第1回受賞者は字幕翻訳家の戸田奈津子氏。以後、毎年授与。
 
・1993(平成5年)84歳
3月4日 淀川長治賞が評論家の故筈見有弘氏、渡辺祥子氏夫妻に授与される
 
・1994(平成6年)85歳
3月10日 淀川長治賞がフランス映画社(代表取締役社長・柴田駿氏)に授与される
 
・1995(平成7年)86歳
3月15日 淀川長治賞が映画監督の山田洋次氏に授与される
 
・1996(平成8年)87歳
3月15日 淀川長治賞が映画プロデューサーの井関惺氏(日本フィルム・ディベロップメント・アンド・ファイナンス代表取締役社長)に授与される
 
・1997(平成9年)88歳
2月13日 都民文化賞受賞
3月21日 淀川長治賞が映画監督の北野武氏に授与される
5月7日 米寿のお祝いの会が催される
 
・1998(平成10年)89歳
4月1日 淀川長治賞が映画監督の宮崎駿氏に授与される
11月11日 午後8時7分、腹部動脈瘤破裂のため東大病院で永眠
11月12日 午後6時、通夜が東京・信濃町の千日谷会堂において、映画関係者ら200人が参列して行われる
11月13日 正午、葬儀・告別式が千日谷会堂にておいて、約500人が参列して行われる。戒名は「長楽院慈眼玉映大居士」
12月13日 「淀川長治さん・さよならの会」が」東京・青山葬儀所で、約3000人が参加して行われる。

 

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