淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家 - 淀川長治さんを語る〜岡田喜一郎

淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家
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淀川長治さんを語る〜岡田喜一郎



明治、大正、昭和、平成の4代にわたり89年間生涯現役を貫いた不世出の映画評論家・淀川長治。
あの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」の名調子で人気を博し、晩年自ら?映画の伝道師?と名乗ったが、?人生の伝道師?でもあった。
長い映画生活の中から生まれた名言の数々は、単に映画鑑賞のためだけではなく、私たちに生きる勇気を与えてくれる。

岡田喜一郎

岡田喜一郎氏プロフィール

1938年東京都生まれ。映像作家。早稲田大学第一文学部卒業後、記録映画「東京オリンピック」種目別監督をはじめ、多くのドキュメンタリー、テレビ作品の制作・脚本・監督を務める。日本映画ペンクラブ会員。

淀川長治氏とは30年に及ぶ交友があった。著書は『淀川長治の映画人生』(中公新書ラクレ)、『淀川長治のひとり座』(廣済堂出版)、『半七捕物帳お江戸歩き』(河出書房新社)、『映画で見つけた素敵なことば』(佼成出版社)、『淀川長治究極の映画ベスト100』『淀川長治究極の日本映画ベスト66』(ともに編・構成、河出書房新社)など多数。

淀川長治とチャップリン映画

淀川さんは89歳で亡くなるまでの11年間、東京赤坂の全日空ホテル(現:ANAインターコンチネンタルホテル東京)のスイートルームに滞在していた。

私はしばしば訪れたが、寝室の大きなダブルベッドの上に、チャップリンの似顔画のクッションがいつも置いてあった。

「これ、知り合いの子が作ってくれたの。うれしいな。いつも抱いて寝るようにしているのね」 と話していたが、このクッションは淀川さんの宝物のひとつだった。

 淀川さんにとってチャップリンは映画の神様、いや人生の神様だったからだ。
 チャップリンは全生涯で「成功争ひ」(1914)からはじまり「伯爵夫人」(1967)まで81本の映画を残している。

 淀川さんは少年時代からチャップリン映画に興味を持ち、全作品を観ている。それもほとんどがリアルタイムで観ているのだからすごい。
 「チャップリンのこと、全部覚えていますよ。なんでもしゃべりますよ」
 と常々いっていたが、特にサイレント時代の作品についてたずねると、まるで昨日観ていたかのようにストーリー展開やギャグの面白さについて話してくれる。その記憶力は半端でなかった。


 かつて、私が構成・演出して淀川さんのテレビ特別番組をつくったことがあった。その中で、「黄金狂時代」(1925)でチャップリンが登場する冒頭シーンを、フィルムを観ない(・・・・・・)でカメラに向かってしゃべってもらった。その冒頭シーン。
 「チャップリンはリュックサックを持って崖のところを通っています。雪の中を。下は断崖絶壁。そこをチャップリンがユーコンからクローンダイクへ。山の中をずっと一人で行きおる。後ろの景色。前見ていません。面白いファーストシーンですね。・・・・・・・」


 このシーンは5カットで構成され40秒である。あとで淀川さんのおしゃべりとフィルムを合わせてみたらぴったりで1秒の狂いもなかった。くどいようだが、フィルムを観てしゃべったのではない。偶然の一致だと思われるかもしれないが決してそうではない。私は番組をつくりながらこんなことを何回も経験したことがあったのだ。驚くべき記憶力である。

 さて、淀川さんはなぜチャップリンに惹かれ尊敬したのだろうか。」
 「チャップリン映画は愛すること、働くこと、食べること、夢を持つこと、勇気を持つことを教えてくれましたね。チャップリンぐらい人間の幸福を求めて掴んだ映画作家は他にいません。その一筋。その執念がすごいのね」
 これが淀川さんのチャップリン観である。

 4歳から映画を観はじめ生涯現役を貫いた淀川さんの生き方は?映画愛?を大切に守り、軸が少しもぶれていなかった。映画一筋に生き抜いたチャップリンの生きざまと共通しており、淀川さんはそこから自らの映画人生を学びとったのである。

 とはいっても淀川さんは、はじめからチャップリンが好きではなかった。チャップリンの初期短編時代は、どちらかといえば暗くって、残酷な笑いが目立ったが、淀川さんはそれを嫌った。心酔しはじめたのは、チャップリンが人間愛を真正面から描き出した「チャップリンの移民」(1917)や「犬の生活」(1918)、「キッド」(1921)あたりからである。その中で淀川さんが生涯のベストワンと推したのが「黄金狂時代」であった。

 というわけで、淀川さんは愛のない人、思いやりのない人、なまけ者、ユーモア感覚のない人、笑わない人を嫌い軽蔑し、そんな人間と会うと一喝した。私はこんな場面を何回となく見ているが、それは淀川さんがチャップリン映画から学んだことを若者たちに少しでも伝えたいという愛のムチだったのだ。

 淀川さんとチャップリンのこととなると、話の種は尽きないが、淀川さんがチャップリンと2度会ったことも良い思い出となっている。

 1回目は昭和11年(1936)6月のこと。当時、ユナイト大阪支社の宣伝部員だった27歳の淀川さんは新聞記事でチャップリンがポーレット・ゴダートとの新婚旅行の帰りに神戸に立ち寄ったことを知る。神戸港に停泊中のクーリッジ号に駆けつけ、チャップリンと船室で単独会見した。淀川さんはチャップリン映画は全部観ていると話し、「チャップリンの消防夫」(1916)や「チャップリンの番頭」(1916)などを身ぶり手ぶりで真似してみせ、映画の神様を感動させた。ゴダートが波止場の真珠屋に行きたいというので案内もした。

 2回目はそれから15年後の昭和26年(1951)、淀川さんがハリウッドに行き、「ライムライト」(1952)の撮影中のセットでチャップリンと再会。チャップリンは神戸のことを覚えていた。サイレントの大スターがマイクのまえで台詞をいう姿を見て、淀川さんは時代の流れを感じ涙した。さらにロサンゼルスでかつてチャップリンの秘書をしていた高野虎市と知り合い、チャップリンの秘話を聞いている。ちなみに高野は「チャップリンの冒険」(1917)に運転手役で特別出演している。

 私はこのチャップリン会見記を何回も聞かせてもらっていし、講演でもよくしゃべっている。そのときのニュアンスは自慢話ではない。一挙一動、その場の情景が伝わってくる。いかにチャップリンが偉大であり、淀川さんが愛していたのかがわかる。だから何回聞いていてもあきない。

 淀川さんは優れた表現力を持った一流の文筆家であり映画評論家、と同時に稀代の話し手であった。みごとな話芸である。おそらくこういう人は二度と現れないだろう。特にクラシック名作を語らせたら独壇場だ。
 そうういった意味でも、「淀川長治クラシック名画解説集」は、淀川さんの世界が満喫できる貴重なDVD映像である。




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